年が明けての神社巡り

遅めの初詣を9日に済ませて、15日はお正月飾りを持って天満の天満宮へ。今年一年の平和をお願い。

18日には生魂神社へ。ここは長男が結婚式を行ったところで、5日に長男夫婦に子どもが産まれたことをご報告。


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22日には住吉大社。初辰参りの日で人も車もいっぱい。ここは私が女の人と縁のないように思えた長男に良い縁がありますようにとお願いしたところ。お願いしてから半年くらいで付き合っている人がいると言われて、そこからトントン拍子に結婚が決まった。長男は知らないが、私が一人で恩を感じている。ここでも子どもが産まれたご報告。


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26日に門戸厄神東光寺。去年後厄だった下の息子のために厄払いをお願いしていて、何とか無事1年を過せた息子のお礼参りに行ってきた。節分までに済ませたいと思っていたので行けてよかった。今年初めてのお寺参り。三ヶ日とは比べものにはならないけれど、人は多い印象でした。祈願の列も伸びていたし。


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実は1月中にもうひとつ行きたいところがあるんだけど、行けるかしら。無理そうだね。

コロナになって思ったこと

コロナに罹患して、1ヶ月以上たった。今、私達の生活はコロナに罹患する前の状態に戻っている。それでも気になっている事を脈絡なく綴ってみたい。

 

① 私は今年還暦を迎える。それなりの歳なので30代、40代の頃のようにはいかない。コロナの前から名前を思い出すのに時間が掛かるだとか、ちょっとしたことで咽るようになるだとかはあった。けれど、コロナになって一層酷くなったように感じていた。気にし過ぎかなとも思っていたが、連れ合いからコロナになって物忘れが酷くなった気がすると言ってきた。咳こみやすくなったとも。私だけなら気の所為と思うところだが、老化が進んだのだろうかどうだろう?

 

② 私は糖尿なので定期的にお医者さんにかかっている。コロナの療養解除になって1週間後にかかりつけ医を受診した。数値が悪くなっていたのだが、コロナになったのなら当たり前だと言われた。コロナで療養してたと言っても、1週間のことだし外には出られなかったが家事はいつも通りしていたのに?でも、先生は糖尿でコロナになった人は軒並み数値が悪くなっていると言われた。生活態度の所為ではなくコロナ自体が病状をすすませるのかな?

 

③ 65歳以上か呼吸器系か心臓の基礎疾患のある人は病院の方から保健所に連絡が行く。それ以外の人は自分で連絡しないといけない。それも検査結果を添えて出さないといけない。私の場合、月曜の午前中にPCR検査を受けて月曜の夕方に結果が出た、検査結果の用紙が家に届いたのは水曜の夕方。それからスマホで手続。この時、熱は37度台。だから苦痛ではなかったけど。それでも思ったのは熱がなかなか下がらない人なんか不安も苦痛も相当なものだったんじゃなかろうか。それにこの間に病状が悪くなったらどうなるの?私はそこは凄く不安だった。そろそろ、3年にもなるのだから上手くシステムが構築できないものだろうか?

 

④ 夫婦二人共が陽性になった時点で市の配食をお願いした。人様に頂いたものに文句を言うのは卑しい事だと承知している。それでも言いたい。それを言う前に。私達の住んでいる市の配食はお願いしてから届くのに2日から3日かかる。要するに陽性が確定してからすぐ頼んでも療養を開始してから3日後に届く。コロナは順調に治ると8日後には外出ができるようになるので、4日5日6日7日の分の食事が届く。アレルギー対応は無し。その頃には動けるようになっている事前提の食事が届いた。連れ合いの分、一人分。お粥と、雑炊、缶詰、カップ麺、ゼリー飲料。これはわかる。ポカリスエットの粉末、これも良いとしよう。無洗米、乾麺。そりゃ炊飯器が炊いてくれますけど、洗い物が増えますやん。37度台の熱でも洗い物はしんどかったな。乾麺に至っては大きな鍋にお湯沸かして茹でろって、面倒さが先にたちました。パスタソースは3食分同じソース、カレーが2食分。これに関してはは贅沢かもしれないとちょっと思う。ちなみにお隣の市はレンチンで食べれるパックご飯が届いたそうです。

 

真面目な話、コロナに限らず必要な人に必要な医療が受けられる状態にはしてほしいです。

 

 

明けましておめでとうございます

1月9日、遅ればせながら初詣に行ってきました。

去年は寅年だったので生駒の朝護孫子寺に行って寅の置物を買った。

今年はうさぎの神社に行きたい。大阪にも住吉さんがうさぎの神社らしいのだけど、何度か行って知っている。うさぎの置物がなさそうなんだよね。

で、うさぎの置物が一番ありそうだと思った京都の岡崎神社に行ってきました。

京阪特急で三条、準急に乗り換えて神宮丸太町。そこから歩いて20分ほど。遠くに看板を持った警備員のような人が見える。まさかの行列。9日なのに。行列の最後尾はバス停岡崎神社前のところ。近いんだけど行列がゆっくり進んでいるので遠く感じる。警備員さんが「左に寄って、もっと詰めて」と。密だね。歩道に行列ができているのだから仕方ないよね。

神社の境内に入ると行列はもっと長かった。ゆっくりだけど、列は進んでいる。


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いくつかのうさぎの像の前を通って拝殿の前に行き

つく。

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今年の平穏をお願いする。そして御朱印をいただくために再び行列に並ぶ。こちらの行列は遅々としてなかなか進まない。そりゃ書いているんだから当然だね、と思っていたら受付だけだった。御朱印が4種類あるので、皆さん悩んでいるようだった。受付で「30分かかります」と言われたのでゆっくりお守りを選んでいたら、急に番号を呼ばれる。速いに越したことはないので良いけど。

連れ合いは金運守、私は幸福うさぎ守、息子には飛躍守、あと狛うさぎを買って帰った。

岡崎神社に着いたのは多分10時頃、神社を出たのは12時前。今年は穏やかな年だと良いな。


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コロナが我が家がやってきた

12月9日、連れ合いが喉がイガイガすると言い出した。その日の晩発熱した。38.8度。翌12月10日PCR検査の結果、コロナ陽性が確定した。12月11日、私が発熱。39.4度。12日、連れ合いと同じくコロナ陽性が確定した。 

油断があった。今までに家族の誰かが「コロナに感染したかもかれない」という騒動はあった。けれど全て杞憂に終わったので、今度も大丈夫だろうと。完全にコロナをなめてた。

 

連れ合いは今年定年退職した。だから夫婦で過ごす時間は多い。

12月9日、連れ合いの運転で家具屋さんにテーブルを探しに行った。気に入ったテーブルが見つかり、今あるテーブルも引き取ってもらえるとの事で良い買い物ができたと喜んでいた。

同日夕方、連れ合いが喉がイガイガするので、のど飴が欲しいと言いだした。二人共それなりの歳なので、この時期喉の調子が悪いなんて当たり前にある。喉が痛いのか聞くと少し痛いかなとの返事。この時点で全く警戒せず。

同日夜、一緒に夕食を食べた辺りで少し熱がでた。37.4。この時点で、少し警戒する。この日、忘年会で帰宅の遅い息子に連絡。家は元々2世帯住宅で、義母がなくなった今1階は空いている。ただ義母が認知症になった段階で「危険だ」という事で台所を使えなくしてそのままになっている。その上、義母の使っていた洗濯機も捨ててしまった。それでも、少ししか警戒してない私は2.3日の辛抱だろうと、とりあえず下で寝てもらうことにした。その日の夜、連れ合いと同じ部屋で就寝した。

12月10日朝、38.8。慌てて部屋を別にした。近くの病院の発熱外来に電話して予約をとった。勿論、無料ではない。この病院はPCR検査の検体を採取するだけでなく、病院でPCRの検査をやってくれるので比較的早く結果がでるらしい。カロナールをもらって帰ってきた。熱は37度から38度を行ったりきたりしていたようだった。私は葛根湯を飲み始めた。

同日夕方、陽性が確定した。ショックだった。その瞬間、私は濃厚接触者になった。結果が出る以前に息子と話し合って、連れ合いがコロナだった場合私がコロナの確率は高いので、下の階で生活して2階との接触を断つことにした。連れ合いは熱のせいか食欲はあまり無いようだった。連れ合いは65歳なので病院の方で届けをしてくれるらしい。

12月11日、大阪市からショートメールが届いたらしい。そしてMyHER-SYSの登録ができるようになったらしい。昼前、連れ合いの部屋から話し声が聞こえる。後で聞いたら、保健所から電話があったらしい。私と息子は日曜と月曜に抗原抗体検査をして陰性なら自由にできること、パルスオキシメーターを借りる手続をすることを勧められたらしい。抗原抗体検査キット、調べてみたら日曜に手に入れる事が私の周りではむづかしい。なら、連れ合いの行った病院で検査してもらおうと思った。

同日夜、熱が出た。22:30、39.4度。寝苦しく、1時間おきに起きていた。

12月12日朝、熱は37.4度。なぜ?病院に電話、予約をとる。検体を取ってもらったあと、このあとの説明をうける。陽性が確定したら、自分で陽性者登録をしなきゃいけない。陽性者登録をするには検査結果の用紙を送るのでその用紙の写真を送らなきゃいけないこと。私が陽性だった場合、先に陽性確定している連れ合いと隔離しなくても良い事。カロナールを処方してもらう。

同日夕方、陽性が確定する。

連れ合いは熱は相変わらず、37から38くらい。咳がでて、痰がからんでいる。私の方は、37度台の熱で推移している。パルスオキシメーターは届くのに3日ほどかかるかもしれないと言われていたらしく、この時点では届いていなかった。私も陽性になったことで連れ合いと相談して配食をお願いした。これも3日ほどかかるらしく4日分、届くとの事。

12月13日、連れ合いの熱は36から37くらい。その代わり咳が辛そう。私は37度台。咳が少しと鼻詰まり。

同日夕方、パルスオキシメーターが届く。鼻詰まりのせいか数値は95。ネット情報によると悪い数値らしいが息苦しくはない。

12月14日、連れ合いの熱は36度台。本人曰く咳と痰以外は大丈夫とのこと。私の熱は37度前半。布団を上げて掃除をする。

同日夕方、病院からのPCR検査の陽性確定の紙が届き、陽性者登録をする。

12月15.16日、連れ合いは咳と痰が残る。私も熱は平熱に戻り、鼻詰まりが残るのみ。

12月17日、連れ合い療養解除。

12月19日、私も療養解除。

 

こうして我が家のコロナは終わった。怖いなとおもうのが、連れ合いが何処でもらってきたのか全くわからないこと。よい機会なので、コロナ対策をもう一度見直そうと思う。

 

 

 

 

石山寺

今年の紅葉は石山寺に行きたい、と私の希望で11月28日に連れ合いに連れて行ってもらった。家からだと車で1時間くらい。私は免許を持ってないので車での移動は連れ合い頼み。

洗濯を急いで終えてさぁ出発。

10時前には石山寺の駐車場に到着。


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拝観料を支払って中へ。

ここでなんでそんなことになったのか、未だによくわからないのだけど石の階段を見逃してズンズンと奥へ行ってしまった。それも後でわかったけど、2ヶ所ほど見逃しているんだよね。とにかく奥に行ってしまって「関係者以外立ち入り禁止」のところまで行ってしまった。で戻って自分でも驚いたけど、入口からすぐのところに階段があった。「紫式部展」の看板を見た記憶はあるのに、すぐ横の階段に気がつかなかった。不思議。

気を取り直して、蓮如堂、観音堂毘沙門堂、本堂、御朱印を頂いて、経蔵、多宝塔、芭蕉庵、月見亭、豊浄殿で紫式部展を見て、光堂、紫式部像。再び本堂の前に出てそこから別の階段を降りて、大黒天のところに出た。


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久々に歩き回った気がする。帰りに叶匠壽庵で石餅を買って、パン屋さんで食パンを買って、土産物屋さんで赤こんにゃくを買った。赤こんにゃくははじめて食べることになる。

お昼ごはんを食べながらこの後どうするか相談する。建部大社に行く気になつていたが、連れ合いが大きなイオンがあるから行こうと言い出した。正直、イオンなんてどこにでもあるし、家から1時間もかけて出かけた先で行かんでも良いやないかと思う。連れ合いの主張は週末に介護施設にいる母に会いに行く手土産を探そうと言う。今、介護施設はコロナの影響でイベント的なことはやってない。1日中やることはないらしい。何か趣味的なことをみつけてあげたい、とは思っていた。それを探しにいこうというのだ。連れ合いは親切者である。結局、イオンに行くことになった。母へのお土産も見つかった。

そして、迷宮に迷い込んだ。

なんだか疲れて家にたどり着いたのは4時を過ぎていた。

やっぱり、プチ整形

眼瞼下垂の手術を受けた。

私自身面白がっていたのだけど、段々面倒に感じはじめた。時節柄仕方のないことだけど、手術の2週間前から毎日体温を測る。1日でも37.5度を超えると手術は出来ない。手術の前日の夕食後から抗生剤をのむ。手術当日は朝の7時以降何も飲み食いしてはいけない。たったそれだけのことなんだけど。

前に鼻に出来た皮膚癌の手術を思い出して憂鬱になる。顔の手術なのでライトがすごく眩しかった。結構辛かった。瞼の手術なので眩しいんだろうな。

当日、連れ合いに付き添ってもらって病院に行く。コンタクトを外しているのでほとんど見えない。顔だけの手術だけど手術着を着て、手術室に入る。

瞼の裏側に麻酔を打つ。これが痛い。暫くしてから瞼を突かれ、痛いかどうか聞かれる。痛くない。突かれた感覚はわかるが痛くない。ありがたいことにさほど眩しくもない。手術時間は大体90分ほど。切ったところに繋がり眉毛のようにガーゼを貼ってもらう。翌日の予約をとり、薬局で塗り薬を貰い、帰路につく。

今日は何もせず、1日のんびり。

翌日、ガーゼを取ってもらい手術跡を確認してもらう。抗生剤をちゃんと飲みきること、塗り薬は1日4回塗ること、お風呂は5日後からシャワーは大丈夫、コンタクトは2週間後、という話をしてもらう。1週間後の予約を取り、帰宅。

ガーゼを取った瞼は腫れている。それは最初の診察で説明を受けていたから問題はない。それよりもいつも眠そうだった私の顔が起きている。目がバッチリ開いている。と、私は満足だったが、連れ合いはそうじゃなかったみたい。何度も何度も「腫れが引いたら大丈夫やからな」と言われた。それはつまり今の顔は大丈夫じゃないという事かい?

眼鏡で室内の家事はほぼ大丈夫。細かい仕事はきついかな。大掃除もこの視力では汚れがとれているのかどうかわからないので、コンタクトに戻ってから。

眼鏡も最初の頃は軽いめまいを起こしそうな感じで気持ち悪かったけれど、徐々に慣れた。完全に慣れた頃にはコンタクトに戻るけどね。

1週間後の診察も問題なく。次は1ヶ月後。

とりあえず、コンタクトに戻るまでのんびり過ごそう。

 

建仁寺

息子から阪急電鉄の「京とれいん雅洛」とやらが年内で終わるらしいと聞いた。後でわかったことだが、これは彼の勘違い。年内終了するのは「京とれいん」だけだった。

この時点では「雅洛」が終わるらしいので、一度乗っておきたいと京都に行くことにした。

10月30日日曜の朝、9時32分の電車に乗るために9時頃に梅田駅に着いた。いくら観光列車仕様とはいえ特急料金もない、要するにただの特急電車である。その電車に乗るのに30分も前に並ぶのは恥ずかしいかと思ったが、そこそこ人が並んで待っていた。ほっとした。
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電車に乗り込み、席に坐る。結構な込み具合。

息子に言わせるとこの種の電車は混んでいる時点で興醒めらしい。ゆったりと寛いで行けるというのが良いので混んでいるのはだめらしい。よその電車のように特別料金が発生しているならともかく、料金が変わらないのであれば仕方がないのではなかろうか?

私は独身時代阪急京都線沿線に住んでいた。もう30年も昔の話。懐かしくもあり、目新しくもあり。京都河原町まで45分ほど、ゆったりではないにせよのんびりと過ごす。  

京都河原町駅に到着後、少し他の車輌を見学させてもらう。
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折角、京都にきたのだからこのまま引返すのは惜しいので建仁寺に行くことにした。
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やはりそこそこ人はいる。

お庭や襖絵などを見て回っていると細川護熙氏の襖絵が。日本画の造詣はさっぱりなのでわからない。けれど、人様に見てもらえる場所を提供してもらえるのだから、きっと上手いはず。

そこそこ人が多いので、食べに何処かに行く気にはなれず。昼前には京都をはなれた。